写真というものは、楽しい。
自分が写したものを見れば、そのときになにを
感じたかを思い出す切欠にもなるし、他の人が
写した写真を見れば、その場所に自分がともに
いるかのような臨場感を味わえたり、
撮影した人の考えを写真から読み取り、経験を追体験出来る場合もある。
難しいことは考えずに、写真を見て
「ああ、きれいだな」とか「こんな場所もあるのか」と
素直に驚嘆するのもいい。
ぼくにとっての写真は、そう難しいことを考えずに
楽しむためのもののようだ。
だからというわけではないが、道具に凝ったりする必要はないと
いまは考えている。
撮影するための道具は値が張るものでなくても良いし、
最新のものを常に追いかける必要があるとも考えていない。
ただ、カメラを始めとする機械全般に言えることだが、
変わった仕掛けや特殊な形状を持つモノを好もしいと思う傾向があるように思う。
どのカメラを購入するかという選択基準はその点に秘密があるようで、
変身合体モノのロボットアニメが好きだった少年時代の
熱情を持ち続けていることが原因のようだ。

鉛筆で絵を描いたあと、それに色を塗ることがある。
その作業が楽しいときもあるけれど、概ね苦しいと感じてしまう。
飽いてしまう。
色を画面全体に乗せるのが、生来苦手なのだ。
絵に関して言えば、鉛筆だけで
モノクロームの世界に興じているときのほうが楽しい。
彩色が苦手というこの性質は、飽き性であることが
災いしているんだ、と色を塗る段になっていつもひとりごちていた。
時間をかけて完成させる絵と違い、写真はその場にある色を
ボタンひとつで瞬時に切り取ることが出来るのが痛快だ。
画面の構成やら撮影技術やら、さまざまな小難しいことは
抜きで、一瞬の操作で画面を作成できるのが
飽き性のぼくには合っているように思えてならない。
写真に対してのイラストレーションの重要性や
優位性というものがあることは重々承知しているし、
また、一葉の写真を得るために長い時間と苦心が必要な場合もあると
いったことは理解したうえで、ふと胸に浮かんだことを書き連ねてみた。