藤沢周平の文庫本『麦屋町昼下がり』のページを繰った。
英國に在って日本の香りを忘れぬように、とあえて
持って行った本だったが、わずか数ページで読むのをやめた。
車の中で本を読むと酔ってしまうのも理由のひとつだったが、
車窓を流れるなだらかな丘、菜の花と思われる黄色と緑色、
時折見かける英國の民家を目にするうち、その気分ではなくなっていたからだ。
日本を思い出すよすがとして藤沢周平を手に取るのもよいが、
せっかく渡英したのだから、しばらくは藤沢周平が描く
侍の世界から離れて本を閉じるのも良いだろうと思えた。

帰国してから二週間。
浮かれていた心もようやく落ち着きを取り戻した先週、
あらためて『麦屋町昼下がり』を手に取る。
何度目の読み返しになるか忘れたが、いつ読んでも変わらずにいい。
堅苦しいだけの時代小説ではなく、作品世界に実際に登場人物たちが
生きているように思えるのびのびしたところがまたいいね。
この時期の藤沢周平ならでは、だろうか。
藤沢周平の、ある時期の町人物は読後鬱屈とした気持ちに
させられる短編も多く、再読するにあたっては
「えい」とこちらも気合を入れて読み進めないと
負けて鬱な気持ちになりかねない作品もある、と思っているのだが、
『麦屋町昼下がり』に限ってはそれはない。
痛快。
とくに気持ちが良いのは、登場する女性たちのさり気ない
言動に、一瞬で「なんと可愛らしい」と恋にも似た感情を
抱かされてしまう点だろうか。
上手ですよ、藤沢周平。
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